生きる楽しみを見つける -休養中-

広汎性発達障害、または自閉症スペクトラムやADHDを患っています。Twitter@amaiwatako

発達障害は甘えなのか。

頑張っていることができない。

すごく頑張ってるのにできないことについて。例えば私なら片付けや計画立てなんだけど、どんなに本を読んでも自力じゃ無理なので、絶対発達障害だからできないんだろうと思ってた。

 

でも、障害だからやりたくない、というと、批判されるんだよね。何でもかんでも障害のせいにするな、とか甘えるな、とか。

 

でも、できないものはできないし、どうせ障害でできないんだったら、はじめから頑張ることもしたくない。そういう思考に陥る。諦める前に頑張るだけ頑張ってみた。でもできなかった。なので、お前は甘えだ!と批判されると、激おこプンプン丸である。

 

 

最初から発達障害のせいにしない

でも、最近は障害のことを受け入れているのか、逆に受け入れられてないからなのかわからないけどちょっと考えが変わってきた。

注)症状が断然良くなってきているからできることだとおもうし、人によっては私は軽い障害と思う人もいると思う。前に私のことをよく知らない医療従事者からは、あなたは発達障害じゃないよって言われたぐらいだから、はためにはわからない可能性も高い。なので、今精神的に落ち込んでいる人が見たらこの記事は苦痛に感じるかもしれないので読まないほうがいいかも…。ちなみに医者からは障害が重いと言われているし、大学に行けるなんて思わなかったとか言われたこともあるけど、どちらかというと2次障害がひどい気がする。

 

 

やっぱり片付けもできないし、計画立てることも自力じゃムリ。でも、それを最初から発達障害のせいにしてない自分がいる。

というより、発達障害だからということを忘れている。それなので、ああ、私は「片付けが出来ない人間なんだ」みたいになる。

 

もちろん、その途中で発達障害のことを思い出して、あ、ワタシ発達障害やったやん。だから片付けできないんかな〜と思うこともあるけど、一番には来ない。確かに発達障害のせいかもしれないけど、昔みたいにクサクサしてないし、できなくてもいいんだ〜誰にも迷惑かけてないでしょ、というスタンス。なんか、なんでもかんでも障害のせいにするのが嫌になってきたのだ。障害のせいにしない場合、頑張ることも苦痛じゃないし、頑張らないという選択肢をとっても、うしろめたくない。

 

 

人が来るときや、仕事で計画をたてなきゃいけない時は、ちゃんと努力したい。社労士の勉強でも、人にアドバイスを求めて計画をきちんと立てた。できないことは、できる人に聞くのが一番。

出来ないなんて言い訳したくないし、やるときはちゃんとやりたい。そういう正念場があってもいい。

でも、出来る限り、そういうシーンを日常では回避しても別に良いと思う。だって苦手なんだもん。頑張って挑戦して自己肯定感が下がるよりは、逃げて逃げて毎日に不満はないよーていうほうがいい。逆にそのほうが、いざという正念場で頑張れるエネルギーを貯められる。(いざという時できなくて困るリスクはあるけど)

私は逃げてるから発達障害を忘れられてるのかな?でも、ちゃんと片付けするときはするし、計画立てるときは立てるよ。

 

 

つまり、できないから、発達障害だから、といって昔みたいに無気力になることがなくなった。

やらなければ発達障害も忘れることができるので、無気力にならず、忘れた頃に頑張れる範囲で頑張ることができるのかしら。

 

昔は、優先順位や計画をしっかりしないといけない職場だったのでそれはそれは苦痛だった。難しいよね。計画立てるの。

一つアドバイスするなら、緊急と重要だけで作れる優先順位表は実際の職場じゃ役に立たない場合が多い。最初は、先輩に優先順位の決め方を聞くなどして、その職場にあった優先順位の決め方をする必要がある。

 

 

 

 肯定的に受け入れてもらえる環境

 今私が生きやすく感じるのは、やっぱり出来ない自分を肯定的に受け入れられてる環境にあること。そして、安心して失敗と挑戦ができる環境にあるからかな。コレほんとに大事。これがないといつまでも、無気力な自分のままになってしまう。もちろん見つけたあとも自分との戦いなので、自分に自信をなくしたりなどは当然あるよ。でも、前提としてはそういう環境が必要。

 

 

そういう環境を今から近くで見つけるのは大変。だからまだ見つけられてない他人を責められない。

私も、それがない環境に前はいたので、体調を崩して会社をやめてしまった。会社を責めるつもりは全然ないし、自分が合わなかったからしょうがないのだ…。

会社に入ると、発達障害を特に意識してしまう。新人だからできないのは当然だけど輪をかけて出来ない気がする。やっぱり発達障害の症状を強く意識するようになる。そういうときってむしろ本当に発達障害がひどくなるのかも。

 

ということは、のびのびと生きられて、発達障害なんて気にしないという場所さえ見つければきっと発達障害があっても発達障害のせいにするなんてことはなくなる。わたしも昔と比べて実際症状が最小限に落ち着いてる気がする。

 

 

 言わないようにしてること

人には発達障害だから出来ない、なんて言い訳は、変に取られてしまうかもしれないし言わないようにしてる。ごちゃごちゃ争いたくないしね。

 

というのも私がその言葉を他人から聞くと、何故か嫌な気持ちになるからだ。どうしても、第一印象はよくないということ。実態は別として。自分のことをわかってほしいという欲求は誰にでもあるけど、ここは抑えるところなのかも。(信頼する人は別)

 

 

発達障害は甘えなのか

たとえば診断を求めて、やっぱりそうだった、みたいな人だと、発達障害であるだけで免罪符を手に入れたような、そのワードに救いを求めているフシがある。私だってそうだった。私の場合はそういうテストと知らないで受けたので(親が手配)、診断直後は受け入れられなかった。診断を受け入れられた頃ぐらいから、発達障害をすべての失敗の言い訳にしてた。言い訳にしてるときって本当に今じゃ考えられないほどたくさんの症状と失敗に悩まされる。病は気から、なのか?(だからといって起こってしまうことは、気じゃごまかせないことも知ってる)

それに、発達障害のせいなのか、できないことばかりが続くと、自信を失ってうつになりやすい。

 

だから、発達障害を理由にして、あれやこれをやらないという気持ちもすごいわかる。

でも、それが甘えかは別として、他人からは甘えに取られてしまう可能性が高い。

だって、発達障害の苦しみは、同じ発達障害の人にさえわからないことが多い。同じ苦しみを持つ人なんて誰一人いないのだから。似てるかもしれないけどそれは同じではないのだ。

 

言い訳をすること自体はわかる。でも言い訳をして、だからやらない、とか、なんで自分は発達障害なんだとかクサクサしてると、確かに印象は良くない。(私はある種、発達障害の人と関わる職なので、逆にそういう話は勉強になるが)

もちろんわかってくれる人はわかってくれる。でも、世の中はわかってくれる人ばかりじゃないことも、いつか気づくはず。こっちが変わったほうが断然生きやすいのだ。悲しいことに。

 吐き出したいときは、Twitterなどの匿名SNSを使うと、共感してくれる人もでてくるはずだし、たとえ批判されたとしても匿名なので自分とは一歩違う世界の出来事にできるのでおすすめだ。

なにも、愚痴をいうこと、自分にとって本当のことを言うのは悪いことではない。ただ、一方的に理解してとか、なんで理解してくれないのかと怒るのもなんだかへんなはなしだ。

 

 

また、診断されずグレーと言われてしまった人たちも苦しんでいる。彼らは発達障害を言い訳にすることすらできない。昔、病院で知り合った人が、グレーだと言われてすごく苦しんでいた。やはりできない原因をはっきりさせたいという思いは、皆おなじなのかもしれない。自分に原因があるというより、病気に原因があったほうが楽だし生きやすくなる。

 

人は生きていれば皆発達障害の人と同じような症状で苦しむことが必ずある。それが障害と認定されなくても、一時的で限定的なことでも。

 

だからこそ、すこしでも乗り越えた人は乗り越えられなかった人を理解出来無いのかも知れないし、頑張りが足りないと誤解することもある。発達障害じゃない人にもそうである人にも、本当の苦しみなんて本人にしかわからないということになる。

 

だから、結局は甘えかどうかなんて、他人には決められない。

でも、客観的に見て、自分ならこうするけどなあとか、自分にはできるのになんでこの人にはできないのか、とか考えちゃう人には、大抵甘えと捉えられる。

そんなの甘えかどうかは本人でさえわからないことだと思う。

 

私的には、発達障害は甘えではなくれっきとした障害。個人個人の障害自体に甘えはない。でも、人間だから、障害を持った人も甘えはどこかに持っている、という持論を推したい。

 

発達障害は甘えでしょ、とか言う人は、所詮他人のことなんだからほっといてもいいことだと思えるけど、一緒に働くとなったらまた別。

 

働くとなったら甘えと捉えられることは改善するか、サポートしてもらわなければいけない。

サポートしてもらうならこちらも相当の見返りというか、努力を示さなければいけない。そうしないと仕事は任せてもらえないはずだ。信頼関係も築けない。周りを見てると、そこをしにものぐるいで自分と向き合って、こんな時はどうすべきかを緻密に考えられた人が、発達障害でも会社という社会の中で生き残っている気がする。

 

(とはいえ私自身はしにものぐるいで考えられずその部分で一度挫折している。でも挫折したからこそ、次にいかすことがわかることもある)