生きる楽しみを見つける -休養中-

広汎性発達障害、または自閉症スペクトラムやADHDを患っています。Twitter@amaiwatako

健常者にあこがれて

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健常者への憧れが捨てきれない。

 

どうしても、私は普通になりたいと思う。

 

 

普通、発達障害の人は発達障害に見えないと言われると、傷つくらしい。自分の苦しみを理解してもらえないからだ。その気持ちはわかる。でも、おおよそ私は逆だ。

 

 

 

私の場合は、嬉しい時と嬉しくない時がある。

嬉しい時は、頑張って努力している時。それがその言葉によって実を結んでいる気がする。それと、私は健常者に憧れているので、言われるとたいてい嬉しい。

 

嬉しくない時は、頑張って努力しても失敗が続いて挫折している時。または、愚痴を言った時に発達障害じゃないよと言われるなど、こちらを否定されたように思うとき。

 

 

大学時代にカミングアウトした時は、皆から見えないよって言われてた。

 

でも、会社の人にカミングアウトした時は納得って感じだった。

 

学生生活や日常生活で隠せてはいても、会社では隠せなかった。

 

 

納得されて凄く落ち込んだ。

落ち込むってことは、私は発達障害に嫌悪感を抱いたままなのだろうか。嫌悪感まではいだいてないが、どうしても人に迷惑を掛ける障害ってことで、そんな自分は嫌だ!と思っていた気がする。

 

だから、必死に健常者に見えるように振舞っていたのだ。 

 

 

 

仕事ではなくて、日常生活ではほんとに私は障害を隠せてるらしい。

なぜなら、リワークにいた看護師ですら、あなたの診断は誤診じゃない?子どもの頃に受けたなら誤診もあるよって言われたのだ。

 

私も、ひそかに昔から誤診ではないかと思っていた。

発達テストで聞かれたことは、不登校だった私には答えられないことばかりで、不登校じゃなかったら答えられそうなものばかりだったからだ。

 

それでも医者は、ムッとして、あなたは発達障害でどれだけ苦しんだか覚えてますか、と言いたげに、確実に発達障害ですと言った。これは今までの2人の医師も認めてます、とつけくわえて。

 

 

 

結局私は発達障害以外の何物でもなかった。

 

 

健常者にはなれなかった。

 

 

今、健常者とか発達障害とかどうでも良くない?と言えるようにまでなった。

私は私なのだ、それ以外ではないと。

 

それでも、カミングアウトして、やっぱり…という反応を取られるときっとショックを受ける。

 

発達障害は関係ない、私は私、という言い方をしているのは、発達障害の自分を認めたくないって言うことの裏返しなんじゃないかな。

 

私は、発達障害を忘れられるっていいことだと思ってたけど、それって向き合ってないことになるのかな?

わすれたいって思うこと、私は私、障害とか関係ないって思うことは良くないのかな。

 

ツイッターを見ていて、私って差別的人種なのかな、て思うのは、当事者のくせに発達障害の人の気持ちを全く理解できていないからだった。むしろ、こうされたくないと思うことばかりしているし、どちらかというと、健常者に近い考えをしている。でもだれしも、やめられるものなら発達障害を辞めたいと思ったことは一度はあるだろう。

 

私は私以外の何者でもない、という感じで自分の障害を否定までは行かないけど、軽視していたら、本当に発達障害で苦しんでいる人をもっと苦しめるのではないかと不安だ。

 

 

でも私は私なのだ。変えられない。

すべてを経験して、いろんな人の意見を聞いたうえで、変えられないという選択をとったので、もうそれで生きていいのかなって思う。

 

 

 

もちろん発達障害の苦しさは知ってる。体験した。その上でこう思うんだから、いいじゃんもうって。

ただ、自分の考えを押し付けさえしなければ。提案はするけどね。

 

 

 

私は今、発達障害ではそんなに苦しんでない。悩まされることは多少あるけど、それでずっと悩みはしない。

 

 

そう思えてるのは、今の考えがあるからだと思っている。

 

なので、私みたいな障害者がいてもいいんじゃないかなって思う。